文章の流れ上、先に言っておきたいだけなのだが、名目上とはいえ色々な肩書きを持っている
特に今年は例年にまして多く、県のPTA保護者会の重役まで仰せつかっている
そんな立場であるから色々な会に呼ばれることも多く、コロナの影響のある最近でもちらほらと呼んでいただくことも多い
会に参加するとよく耳にするのが
『子どものために◯◯すべき』
『◯◯したほうが、今後子どもたちのためになる』
わかる
聖人を育てるのなら全てをやっておくべきかもしれないが、相手は人であり、日々接しているのもまた人である
無論、すべての模範となれるような聖人を育てている方は直ぐにでもバックしてもらえればいい
最近聞いた話で印象に残っているものは、
『朝御飯の種類を補うのが大変なら、晩御飯から少し取っておけばいい』
というもの
確かにその通りで、晩御飯から少しとって朝御飯に回せれば品数も増えるし、手間といったら温めくらい、冷製のおかずならそのままいける
とここまで聞けばできそうな話なのだが、問題は晩御飯から少しとれることを決定して話をしてしまっていること
『晩御飯は食べているんだから少し位とれるでしょう?』
正しい
晩御飯を食べているということは『晩御飯として扱える何か』を食べているわけで、1皿分くらいはとれる可能性もある
だがしかし
共働きが増えている現状で、晩御飯にお弁当や冷凍食品を活用している家庭も多い中で、それはなかなか難しいのではないかと
『おかずだけ買って朝御飯に出したらいいんじゃない?』
正しい
じゃあ、自分ならする?
揚げ足ならとれる、後出しじゃんけんで負け知らずだから
話がそれるだけそれたけど、全部を否定しているわけではないことはわかっておいてほしい
少しでも子どものために、というのは持っている感情だし良いこともしてあげたいと思っている
それでも人それぞれ、家庭それぞれで事情は違っているわけだから、理想を語りすぎず、出来ることをやっていこう
高すぎる理想は諦めてしまうし、難しすぎる理想は心を折ってしまう
『子どもなんて何となくで育てたさ』
というのが理想像でもいいんじゃないかな