こたろうの日々

男女の双子育児と趣味について好き勝手に語ってます

可能性1%の話

子どもたちの運動会も終わり、振り替え休日となっている今日、長男のじんましんの為に外来に来ている

運動会終了後にけっこうババッとじんましんが拡がってしまったことが原因で、次いで薬もなくなったことで経過観察という点も理由としては当てはまっているように思う

じんましんのあまりの拡がり具合に『血液検査所望』と嫁さんが言ってたので診察室に入った際には掛け合ってみる

前回も書いたように思うが、じんましんの原因として、

・疲れ

・ストレス

・アレルギー

などありとあらゆる原因因子があるようで、ほぼ特定はできないらしい

それでも理由がわかればと血液検査を所望するあたりが嫁さん優しす、といったところ

今日の検査で原因がわかってくれればいいのに


話は変わるのだが(変わるというか本編というか)、


『可能性はゼロじゃない』

すごく素敵だとは思うけれどこの言葉が嫌いである

『1%でも可能性があれば』

大病などを患っている時に望みを掛けるならば分かるのだが、日常生活のほんの差し障りがないことにも使われている事が嫌いである

宝くじ、ガチャ、ギャンブル、懸賞、等々

基本、当たればいいな、くらいの気持ちで挑むので失敗してもまたやる

差し障りがないからまたやる

失敗しても人生終わらないからやる

『可能性はゼロじゃない』

『1%でも可能性があれば』

『ほぼ当たりません』

『99%はずれ』

意味は一緒なのにやる気は激減、でもそれじゃ企業側も困るから可能性を見せる

幸せを見せるのは販売の基本だからしかたないけど、やはり苦手意識は払拭しきれない

1%でも原因がわかればと待合室にいる僕が言うのは天の邪鬼かな