『あこがれ』などというかっこよく聞こえの良い言葉を使用しているが決して図書館が近くにないわけではない
もちろん、『隣が図書館です』なんて言えるような人には全く勝てる気がしないのだが、車を使えばおおむね5分、信号機に引っかかったとしても10分程度では到着できる距離にはある
信号機に引っかかるだけで5分も経つのかといわれれば、そうですと自信満々に言えるほどには国道と村道の力加減は違うことだけははっきりと言っておきたい
村道の先あるのは村立の図書館なわけであり、村立なだけあって、今話題の本よりもやや村の歴史や郷土についての本が多いことも重い脚が動かない理由の一つなのだと感じる
今現在図書館にあこがれている理由としては、心理学の本を読み漁りたいという欲望に苛まれているからなのである
心理学を学べば、もっとよりよく発信できるのではないかという期待を持ってのことであり、決して今この画面を見ていただいているあなたに〇〇や✕✕をウヒヒ、、などという考えは毛頭ないことをここに宣言しておきたい
村立の図書館しか知らない人間なので申し訳ないのだが、ネットを使って所蔵されている本を検索することができないことも脚を重くしてしまっている原因である
だって、郷土の本の周りにいきなり心理学の本って考えにくい、、
今だからこそスマホ一つあればどこででも読書できてしまうわけで、探しているであろう心理学の本もすぐ見つかりすぐ見始めることもできるだろう
まことに面倒くさい話なのだが、ページをめくる感触、本のニオイが好きなのだ
だったら図書館へいけ
という話だが、所蔵されているかもわからない本のために行くのかと思うと必然的に脚も重くなるというものだ
近すぎる場所には行く機会が減る理論である
よほど強い理由、目的に尻を叩かれない限りはなかなか重い脚は動きそうにない
理由、目的を考えている間に車に乗れば、考えがまとまる前に図書館へ着きそうな気もするのだが、いまはその時ではないようである
簡単にできるものほど後回し
重い脚を動かす理由を探す旅はまだまだ続きそうだ
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この本は購入し、大変満足できる内容だった
読みやすくわかりやすいのに勉強になる
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この本が所蔵されていれば理想
Amazonプライムはいっているけどあったら癪なので検索しない