「やっぱりさっきのはアルミ缶だったよ。」
隣を歩いていた友人が急にそんなことを言ってきた。
急に、というのには理由があって、まず第一に友人とはアルミ缶の話などしてはいなかったということがある。
さっきまで話していたかのような、『やっぱり』などと言われてしまうと実はアルミ缶の話を友人としていたのではないかという錯覚にも陥りそうになるのだが、断じて違うと言い切れる。
天気の話題ならまだしも、缶の種類の話なんてなかなかする機会もなければ、話を繋ぐことにだって頭を使わないといけなくなるだろう。
何も考えずにボーッと歩いていたのだから、そんな頭を使うような会話をしていたはずはない。
それにしても『さっきのは』というのはどういうことなのか。
知らず知らずのうちに落ちている缶の横を通りすぎてしまったのだろうか。
友人はソレをたまたま見つけて興味をひかれてしまったのか。
にしても明らかに話の続きのような急な言葉に少し困りながらもこう答えてみた。
「いや、さっきのはスチール缶だったよ。」
嘘を隠すために嘘をつく、というのはよく聞くことだが、理解できない会話の始まりをいきなり否定する、というのはどうなんだろうか。
缶の種類を改めているだけだから否定にはならないのだろうか、などと話しながら考えてみた。
このまま会話が終わってくれれば一件落着なんだが、と思っていると友人が続けた。
「でもへこんでいたからアルミ缶だとおもうよ。スチール缶はかたいからへこみにくいでしょう。」
さて、どこにへこんでいた缶があったのか。
どうしてそこまで頑なにアルミ缶を推すのか。
「スチール缶でもへこむことくらいはあるでしょう。足で踏んでもへこむし、車ならぺっちゃんこになるよ。」
さて、どこにへこんでいた缶があったのか。
どうしてそこまで頑なにアルミ缶を否定するのか。
自分でもよくわからないまま否定してしまった。
本当は缶の種類なんてどうでもいいはずなのに、なぜか少し認めたくないと思ってしまった。認めたら負けのような気がしてしまっていたから。
「どこにあった缶のこと?」
それだけでも聞ければ良かったのに聞けなかった。
それを聞くのは恥ずかしいと思ったから。
そんな気持ちを察してか友人はこう言った。
「缶なんてなかったよ。」
「疑問に思ったことや腑に落ちないことをそのままにして話を進めるのが悪い癖だよ。」
友人は僕のためにわざと突拍子もない話をしてくれたのだった。
知ったかぶりで失敗することを未然に防ぐための優しい嘘。
『アルミ缶』だったのは精神的柔軟性の柔らかさを表現したかったのかもしれないと思ったのは、それから少ししてのことだった。